2022年11月21日から30日まで開催した「SAZANAMi」さんでの作品展示会。
その会期中、11月26日にトークイベントを行いました。
トークイベントを終えて感じたことをファシリテーターをしていただいた栗原和音(くりはら かずね)さんにエッセイ形式で綴っていただきました。
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このまま存在して良いんだ 
        栗原和音

トークイベントの翌日、11月27日、朝7時、目覚まし音で起きた。
ぼんやりと、昨日のyacckaさんのトークイベントのことを思い出す。
昨日の夜は、すごく体力を使った気がして早めに布団に入った。でも、しばらく眠れなかった。
yacckaさんの言葉に影響されて、自分の中でも溜まっていた何か流れ出したんじゃないか、なんて考えながらいつの間にか眠った気がする。
朝起きて、yacckaさんが廃材に絵を描くのはおくり人(納棺師)が故人に化粧をするような優しい感じにも似ている、と思った。
yacCkaさんは、古民家の改修などで出た廃材に絵を描く。
それをyacckaさんは「役目を終えた廃材を作品として甦らせる」と表現しているけれど、それは命を吹き込むという感じとも少し違う。実際に一つの役目は終わっていて、これからその木材が朽ちていくことには変わりない。その流れに逆らうことなく、自然に寄り添うように絵を描く。

昨日、トークイベントが始まる1時間ほど前にyacCkaさんが言った。
「以前、絵を見てくださった方に『yacckaさんの絵は儚いですね』と言われたんです。」
今となってはその表現が腑に落ちる。キラキラしていて、同時に、ほの暗い。
なんとなく受けるその印象は「儚さ」だったのか。

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11月21日から11月30日の間、福岡県糸島市の前原商店街にあるカフェSAZANAMiでyacckaさんの展示が行われた。
6日目の今日、私はyacckaさんのトークイベントでファシリテーターを担当する。

yacckaさんは、10月にフランスのパリ行われたアートサロンに出品し、日本に帰ってきたばかりだった。
SAZANAMiの店主が「パリでの話も含めたトークイベントをやらない?」と3回ほどyacckaさんの背中を押したらしい。
本人がやると決めた後はとんとん拍子でトークイベントが実現したそうだ。
記録用に用意されたビデオカメラの録画ボタンが押される。私の自己紹介の後、yacckaさんの自己紹介。
「今、緊張で汗が出はじめました。」
照れながらそう言ったyacckaさんは、パリで購入した黒い衣装に身を包んでいた。とても似合っている。
yacckaさんはライブペインティングといって、リアルタイムに人前で絵を描くパフォーマンスも行なっているが、その時よりもトークの方が緊張するらしい。

最初に、yacckaさんが神奈川県から福岡県糸島市に移住をし、知人から襖や木版などからもらった廃材に絵を描くようになったことや、墨や砂など自然に近いものを用いて作品を生み出していることを話してもらった。
「いのちのめぐり」というタイトルがつけられたコンセプトブックには、yacckaさんの想いが短い言葉で添えられている。
そこには「めぐる」という言葉が何度も使われていた。

「えがく」ということは
わたしにとって、呼吸をすることと同じくらい
ありがたく尊いものです。
「いのちのめぐり」より

yacckaさんは、人、モノ、自然、そして他者の作品から人一倍多くのもの受け取っていた。そうして内側に蓄積したものを「えがく」という方法で外に出し「循環」させている。
描いていないと生きていられない。そして、描き終わるとまた何かを蓄積するために動き出さずにはいられない。
yacckaさんのその「呼吸」は、きっと言葉を使うとはっきりしすぎてしまうのだと思う。言葉にならないものをそのままに描く。
私は「ことば」を使い吸って吐いてを繰り返す。yacckaさんは「えがく」という方法で吸って吐いてを繰り返す。


遅れてきたお客さんも含め参加者の方々が椅子に座ったころ、パリのアートサロンの話に移ることにした。
私はパリに行く前のyacckaさんを知らない。でも、以前よりyacckaさんを知る人たちは「パリから帰ってきて少し元気になった」「パリから帰ってきてしっかりした感じ」とyacCkaさんの変化を口にしていた。

「フランスに到着して空港から出てパリの街を歩いたとき、慣れた東京や福岡の街を歩いているかのように、日本にいるときの自分とほぼ変わらずで。自分でも不思議な感覚でした。」
会場にいた人も少し驚く。では絵を見た人の反応はどうだったんだろう。
「実は、日本でもパリでも絵に対する反応はあまり変わりませんでした。私の絵は感想を言葉にするのが難しいと思いますが、夜空に見えるという人もいれば、海に見えるという人、宇宙に見えるという人がいます。それは場所が変わっても同じ感想でした。」
yacckaさんの絵を見た人がその感想を言葉にできないとき、それはそのままで良いという。
絵を見た人が夜空に見えても、森に見えても、深海に見えても、宇宙に見えても。それ以上、言葉にしなくて良い。

パリでは、アートサロンで作品を展示・販売する以外に、1日何時間も歩いて美術館や建造物を見てまわったらしい。
「日本とパリの違いとして感じたことは、日本の美術館は皆静かに作品を鑑賞し、作品とその場に集中しやすいのに対し、パリの美術館はもっと日常に溶け込んでいて身近な存在だということ。例えば、美術館が何かの研修場所として使用され、模写をする人々もいて、人の話し声も聞こえるような空間でした。どちらが良いということでなく、それぞれの文化に基づいて美術館の在り方がその土地に根付いていることが面白いと感じました。」
SAZANAMiでの展示も、日常にアートが溶け込むようにコーヒーを飲みながら鑑賞できるようにした、と言っていた。


「パリの歴史ある美術作品や建造物を見たときに、『何故これをつくられたんですか』と聞くのは愚問ではないかと感じました。何のためにではなく、生きることと等しい行為。美しさを追い求め「つくる」を繰り返す、それが人間なのかなと。パリではその人間の美に向き合い生きていく力強さをダイレクトに感じました。それは私が自分の中にも微かに感じているものでもあり、このままでいいんだなと感じさせてくれるものでもありました。」

自分の存在を自分で受け入れることができた感覚だろうか。そういえば、トークイベントの前にyacckaさんと話したとき「パリに行き、整った」と言っていた。
「整ったというのは、”自分の軸が通った”という感じです。元気のない植物の根元に土が盛られ土台が安定した感じ。今までは気づかないうちに自分の軸を他者に渡してしまい、自分がどうしたいのかわからなくなることがありました。」
植物に例えるところがyacckaさんらしい。

「現実の世界では、自分の作品を観てもらう機会を設けると、必ずジャッジを受けることになります。それは決して悪いことではありませんが、どうしても動揺するんですよね。以前は、その動揺を溜め込んでしまっていました。最近は、ただそのまま受け止めて、流せるようになりました。もちろん、常にできるわけじゃないんですけど。」
この6日間の展示でも、様々な反応があったのだと思う。その反応に影響を受けながらも、yacckaさんの内省で起きる現象が以前と変わったことが伝わってくる。


トークイベントも終盤に差し掛かったところで、yacCkaさん自身のことについても聞いてみた。
「もともと作品制作はしていたんですが、しばらく会社員をして働いていて、そのお仕事は楽しかった。ただ『明日、死ぬかもしれない。そう思ったら最後の生業はなんだろうか』と、ふと思ったときがあって。どこかでずっと憧れを抱いていたアーティストととして生きていこうと動き始めました。その際、親から子どものころの文集に『画家になりたい』と書いていたことを教えてもらいました。」

アーティストになると決めた後、できるだけ世の中の常識に飲み込まれないように慣れ親しんだ場所でなく、自分のことを知らない人々の土地で一から始めてみようと思い、選んだ引っ越し先が福岡県の糸島市だったらしい。
「福岡に引っ越してきて、作品を通じて様々な人との出逢いが増えたときに、”やっぱり見てもらいたかったんだ”と思いました。」
”見てもらいたかったんだ”とはどういう感じなんだろう。

「それは、”評価されたかったんだ”っていう意味ではなくて。なんだろう、やっと”アーティストとして自分がこの世に存在しているんだ”と感じられるようになったんですよね。」


この言葉を聞いたとき、私は突然言葉に詰まってしまった。何か言ったら涙が出てしまう。

ああ、私はずっとアーティストとしてこの世に存在していたかったんだ。

私にはそんなふうに聞こえた。
yacckaさんがすごく大事なことを突然サラッと言うので、私の方がびっくりしてしまった。


実は、どうしてこの言葉が私に響いたのか、今も言葉で説明できない。私の中にアーティストになりたいという気持ちを感じたことはないはずなのに。でも、今まで役に立つことばかりに目を向けて、私が全く見ていなかったものがそこにあると教えられたような感覚だった。私は世界の半分しか見えていなかったんじゃないかと思うような衝撃だった。

「最近、変わっていく自分のことを面白いと思えるようになってきました。」

泣いて話せなくなっている私とは対照的に、yacckaさんは笑顔で堂々と言った。


***


2021年10月に作成した「いのちのめぐり」というタイトルがつけられたコンセプトブックは、今回の個展で配るのを最後にすると決めているらしい。コンセプトは変わらずとも。新しい作品とともに新しい言葉が生まれていく。そして、yacckaさん自身も別人のように変わっていく。
それは変化という表現よりは変容。
yacckaさんのそのストーリーに、その絵に、その言葉に出会った人たちがこれからどんな影響を受けていくんだろうか。

トークイベントに参加してくれた方の一人が最後にこんな感想を言った。「今日この場にいる人たちは、アートの力を信じている人たちなんだと感じる時間でした。」つい最近まで、「アート」は自分と関係のない言葉だと思っていたのに。"この場にいる人たち"に私が含まれている。そんな不思議な気持ちになってトークイベントは終わった。



おわりに
私はいつも文章を書いているわけではないけれど、今回はyacckaさんからの依頼がなくとも、きっとこうして書いていた。
表現は「何かのために」や「誰かの役に立つ」、そのような理由で始まるだけではない。ただ自分のために始まる。そんな表現があっても良いということを教えてくれたyacckaさんに感謝したい。
栗原和音

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正直なところトークイベントのお話をいただいた際、人前で話をすることに不得手なため、戸惑いを感じました。ただ、和音さんと事前に打ち合わせを進めていくうちに、自分の内省の世界が開けていく、そんな感覚を覚えました。実際、イベント時には話をしながらも自分の想像していない言葉が出てくることもあり、自分自身がどのように思考を巡らせているのかを鑑みることができる、とても不思議で面白い、良い機会となりました。
SAZANAMi店主の浦川くん、対談のお相手を引き受けてくれた和音さん、そしてトークイベント、及び展示会にご協力いただきました皆様、ご来場いただきました皆様に改めて大きな感謝を。
ありがとうございました。
yaccka
2022年12月吉日


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yacCka
SAZANAMi

Thank you for your corporation.
Yuki Taniguchi/Lighting
Junpei Nakayama/Photo
Keitaro Hamakado
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